投稿

8月, 2015の投稿を表示しています

■アンディ・ウォーホール-生と死-

■監督:J=M・ヴェチエ,出演:K・ラガーフェルド,J・メカス他 ■フランス,2005年 ■ウォーホルが作ったスタジオ=ファクトリーを中心に話が進む。 彼はここで仕事中毒のように働く。 歩くアートでありセールスである。 しかし組織のアート・ワーカーに対しては寛容だったらしい。 この寛容さはどこから来るのだろう。 母親から受け継いだのか? それとも宗教からくる信仰心なのか? そして組織の秩序と混沌の混乱にも悩んでいたはずである。 この混乱を乗り越える処方としてアートへの多様性の容認である。 彼は今でいうダイバーシティ・マネージメントを実践していた。 彼は多くの人に愛され多くの人から嫌われていたからである。 *Filmarks、 https://filmarks.com/movies/57940

■アルベルト・ジャコメッティ-本質を見つめる芸術家-

■監督:H・バトラ,出演:H・C=ブレッソン,バルテュスほか ■(スイス,2005年作品) ■ジャコメッティが上着で頭を隠して雨の中を歩いているブレッソンの写真で幕が開き、この写真で幕が閉じる。 親族や友人・同僚などのインタビューと彼の著書「エクリ」(?)の朗読で構成されている。 彼は言う、「生者と死者の違いは視線があるかないかだけである」「目をやってしまえばあとはなんとかなる」。 バルテュスやジャン・ジュネがジャコメッティを語る、「彼はどこでもデッサンをしていた」「彼は紙が無くても指が机の上を動いていた」。 アンドレ・ブルトンは言う、「頭部が何であるか知っている」。 ジャコメティはこの言葉を聞いてブルトンと絶交しシュルレアリズムから離れていったようだ。 彼はよく笑いユーモアが有り情熱と好奇心の塊のような人であったらしい。 *Filmarks、 https://filmarks.com/movies/61825

■マティスとピカソ-二人の芸術家の対話-

■監督:F・コーリ,出演:F・ジロー,クロード・ピカソ他 ■フランソワーズ・ジローやクロード・ピカソがインタヴィューに応じている。 マティスとピカソを比較しながら進めていく内容である。  マティス⇔ピカソ で列記すると・・ 旅をする⇔旅はしない、モデルを使う⇔モデルは使わない、オブジェは存在する⇔オブジェは存在しない、消してから描く⇔塗り重ねる、戦争中でも明るい作品を⇔戦争中は暗い作品に、太陽の光を⇔ロウソクの光でも、宗教へ⇔共産党へ、女性はパートナー的存在⇔女性は結婚対称、大人から子供へ⇔子供から大人へ・・・。 このような比較だったとおもう。 映像を重ねることによって違いが肉付けされていく。 二人は互恵関係として長く付き合っていたことがわかる。 2002年作品。

■ターナー、光に愛を求めて

■監督:M・リー,出演:T・スポール ■川崎アートセンター,2015.8.22-9.11(2014年作品) ■主人公が画家だと制約が多くて大変ですね。 冒険もできない。 音楽家なら主人公の作品を時間軸に展開でき映画との相性も良い。  と言うことでターナーの人間関係を描くだけになってしまった。 絵画論はJ・ラスキンが吠えてはいますが嚙み付くまでには至らない。 王室や劇場での酷評、色彩実験やマスト縛りも風景に溶け込んでしまいストーリーを動かせません。  彼の生きた時代の雰囲気を掴めれば良しとする作品です。 ところで家政婦との関係を未決のまま終わらせてしまいましたね。 これは史実に沿ったと言いたいのでしょうか? ターナー役はティモシ・スポール。 裏を見せないロボットのような感じがします。 グローバル時代の演技らしい、どの国へ作品を持って行っても批判を受け難いターナー像を演じています。 これでカンヌ最優秀男優賞を受賞できたのでしょう。 *作品サイト、 http://www.cetera.co.jp/turner/

■ヒエロニムス・ボスとコンゴ、ボスを讃えて

■ルイ・ヴィトン東京,2015.7.9-9.23 ■ヤン・ファーブルの展示されている14作品はなんと玉虫の鞘羽をギッシリと敷き詰めてあるの。 緑色に光輝く玉虫絨毯のようだわ。 日本なら螺鈿の貝殻のような位置づけかしら。 もちろん貝殻のサッパリ感は無い。 言葉に詰まり息が詰まるドギツサのある美しさね。 20世紀前半、アフリカのコンゴはベルギーの植民地だった。 この玉虫作品は植民地政策の批判が込められているらしい。 会場で「ヘヴン・オブ・ディライト」を上映していたけど40分もあって見なかったの。 この映像に批判の説明が入っていたのかもしれない。 「ファーブル博士があなたを癒します」を先日観たけど、主演のファーブルは昆虫人間になって登場する映画なの。 カフカの「変身」にカラフルな色彩を与えたような作品だったわ。 たぶん彼の昆虫感は貴金属と同じ位置づけなのよ。 これなら植民地とも容易に繋がるでしょ? *館サイト、 http://www.espacelouisvuittontokyo.com/ja/past/tribute/detail

■ディン・Q・レ展-明日への記憶-

■森美術館,2015.7.25-10.12 ■ハノイの飛行場でタクシーの老運転手にサイゴンを観光してきたと言ったら酷く怒られたことを思い出してしまった。 「サイゴンではなくホーチミンシティだ!」と。 昔のことですが。 第二次世界大戦後のベトナムの記憶をアートで再現したような会場です。 インスタレーションの粗い作品が多い。 あの戦争を描かざるを得ないからでしょう。 「インドシナ戦争」「ベトナム戦争」「カンボジア・中越戦争」。 もちろん作者の記憶にある「ベトナム戦争」に収れんしていきます。 その中で「フォト・ウィービング」は歴史が滲むように堆積しているのを感じます。 彼の唯一のアートらしい作品群です。 そしてヘリコプターはベトナム戦争の象徴ですね。 映像作品「農民とヘリコプター」の老婆の話を聞いて、グェン・ホン・セン監督「無人の野」が過ってしまった。 「南シナ海ピシュクン」は何回か見ていますがヘリコプターが海に落ちる驚きの意味を今回初めて知りました。 アメリカ人とベトナム人の犠牲者を比較する「戦争のポスター」ではイラク戦争帰還自衛隊員の自殺が異常に多い記事を思い出してしまった。 いつの時代でも自国の犠牲者しか頭にない。 アジアで初めての展示会のようです。 ひさしぶりにベトナム戦争を考えてしまいました。 *館サイト、 http://www.mori.art.museum/contents/dinh_q_le/index.html

■消えたフェルメールを探して-絵画探偵ハロルド・スミス-

■監督:R.ドレイファス ■(アメリカ,2005年作品) ■25年を経た今も「合奏」は見つかっていないらしい。 しかしオモシロイ映画だ。 絵画探偵ハロルド・スミスが案内役だが皮膚がんで顔がボロボロである。 ホラー映画をみているようだ。 「・・喋っていたら鼻がポロリと落ちてしまった」など笑いながら話しているところが凄い。 それとイザベラ・ガードナーと美術史家ベレンソンとの美術品購入時の手紙の遣り取りを背景で朗読するのだが、これがとても効いている。 ガードナー美術館の生い立ちが見えてくる。 事件は政治色を帯びていくのだが、有名絵画を盗むメリットは少なく且つ特殊である。 「合奏」が出てくるとしたら利害関係者の多くが亡くなってからだろう。 *映画comサイト、 https://eiga.com/movie/53832/

■ドローイング・ザ・ライン

■監督:E・オーバート,出演:K・ヘリング,D・ホッパ ■キース・ヘリングの紹介映画である。 彼の作品をみると書道を思い出してしまう。 言語的だからである。 ユーモアのある太い線の単純な構図は一度見ると忘れない。 彼がSVAで記号論をかじったのも影響しているのだろう。 60年後半のアウトサイダーを80年代に繋げた一人にみえる。 美術館には向かわない。 しかも彼の作品は異社会に溶け込める力を持っている。 上演時間が30分だったが楽しめた。 *Filmarks、 https://filmarks.com/movies/55769

■陸軍登戸研究所

■監督:楠山忠之 ■ユーロスペース,2015.8.8-14 ■関係者のインタビューで構成されているの。 登場者の多くは工員や女学生のように周辺にいた人達だから3時間もの長さになってしまった。 でも、この冗長ある話を積み重ねていくと戦争の核心に迫っていける。 主に風船爆弾と偽札を話題にした内容よ。 前者の和紙や蒟蒻糊を材料として女学生が製造し千葉の海岸で米国本土へ飛ばす話が聞けたのは貴重だわ。 そして何故偽札を作るのか? 敵国の経済攪乱が目的だけど、日本軍の特長は前線兵士への物資供給ルートを持っていないの。 つまり兵士が戦地で必要物資や食料を購入するための偽札だったのね。 そして南方、中国での「杉工作」や「松機関」、「南京1644部隊」や「中野学校」の話はゾクゾクする。 敗戦が濃くなると水浄化装置を作り皇室や軍隊上層部だけをかくまって米軍を細菌兵器で迎え撃つ計画もあったようね。 米軍もろとも日本国民も犠牲にして国家を存続させるのが戦争末期の実態だった。 5年前に「 資料館 」へ行ったけど、今回やっと時代との位置付けが見えてきた。 2014年作品。 *作品サイト、 http://www.rikugun-noborito.com/

■百日紅-Miss HOKUSAI-

■原作:杉浦日向子,監督:原恵一 ■シネリーブル池袋,2015.7.25-(日本,2014年) ■葛飾北斎の娘お栄が主人公である。 杉浦日向子は読んだことがない。 この作品は科白の面白さにある。 親子の核心を突いた淡泊な台詞が江戸の町並みに響いている。 お栄の人生を江戸末期の風景として描いた作品である。 その空は百日紅の色に染められていて美しい。  心=脳で見たことも真であると言っている親子である。 目で見たことと心で見たことの一致を描くのが絵画であり、近代以前の豊かさの根源もそこにある。 しかも絵師の裏世界にいる盲目の妹猶を登場させ音の世界を同列にして物語を完結させている。 橋は五感世界が交差する場所でもある。 お栄の人生に悲壮感が無いのは彼女の性格も一因だが、近世世界の豊かさを彼女が享受していたからだろう。 なかなか面白かった。 *映画com、 https://eiga.com/movie/80339/#google_vignette

■隣の部屋-アーティスト・ファイル2015、日本と韓国の作家たち-

■国立新美術館,2015.7.29-10.12 ■イム・フンスン「済州島の祈り人」「次の人生」は四・三事件を取り上げていて目が釘付けになりました。 映像技術・技能の進歩も取り込んでいて安定感があります。 小林耕平の言語系との関係を論じた作品は夏休み向けで楽しかった。 他に気に入ったのは横溝静の映像、イ・ソンミのガラス陶器。 作家12名の展示会です。 生まれた年は平均すると1976年でした。 そろそろ脂が乗ってくる歳ですかね。 このためか作品も美術系の周辺を狙ってタダでは起きないものばかりです。 意味を問うのが多いように感じました。 これはチョット・・というのも何点かありましたが。 でも日本と韓国の関連が見えません。 イ・ウォノ「浮不動産」はホームレスからダンボールを買う作品ですがハングル語と日本語の差しかない。 ホームレスも先進国を覆い尽くしています。 衣装や意匠や言語では見分けられますが関係性まで繋がらない。 キ・スルギの写真処理も日本の作家と同じ方向を目指しています。 作家達は日本と韓国の関係など関心が無いとおもいます。 彼らはその先を見据えているはずです。 その先で出会えればよいのですから。 *館サイト、 http://www.nact.jp/exhibition_special/2015/af2015/index.html

■フリーダ・カーロの遺品-石内都、織るように-

■監督:小谷忠典,出演:石内都 ■イメージフォーラム,2015.8.8-(2015年作品) ■石内都がフリーダ・カーロの遺品を写真に撮っているのを小谷忠典が映画に撮る一種の劇中劇なの。 最初、石内は彼女に興味がなかったけど少しずつでてきた。 彼女の作品には女の血肉が滲み出ているからよ。 それと身に着けているものにメキシコへの深い匂いがあるからだとおもう。 この二つが混じり合ってあのフリーダ・カーロが出現するのね。 石内は「ひろしま」の続編として捉えていたのかしら? 「ひろしま」の学生服やモンペや水筒などはすべて「知っているモノ」だった。 だから石内も観客も「ひろしま」に近づけたの。 でも今回はだめ。 彼女の衣装は石内を寄せ付けない。 遠回りするしかない。 刺繍家が何人も登場する理由ね。 結局メキシコ文化の紹介のような場面が多くなってしまった。 でもこれで余裕ができたみたい。 祭りもあって「人生万歳」に近づけた感じね。 石内は途中で「衣装の全体像を撮りたい」と言いだす始末なの。 「ひろしま」と違って対象の部分撮影だけではフリーダの心に辿りつけないからよ。 でもパリ展示会の観客たちは称賛していたから上手くいったみたい。 日本では開催されたのかしら? みてみたいわ。 * 「フリーダ」(2015.6.4ブログ) *作品サイト、 http://legacy-frida.info/

■異端の作曲家、エリック・サティとその時代展

■Bnkamura・ザミュージアム,2015.7.8-8.30 ■サティは、音楽院入学→軍隊入隊除隊→キャバレ常連客→影絵芝居伴奏者→薔薇十字会聖歌隊長→キャバレ歌手作曲家→音楽学校再入学卒業をしている。 ここまでのサティと直接関係ある展示作品で知っている作者は画家のユトリロただ一人である。  やっと1910年代になってからピカソ、コクトー、ブラック、ブランクーシ、ピカビア、レイ、ドランなどダダ系芸術家と接している。 しかも第一次世界大戦と重なるので彼の最後の数年間がタイトルの「その時代」なのだろう。 彼はベルエポックの成果物を持っていたから「この時代」に出会えたと思う。 サティのCDは何枚か持っている。 読書やパソコン操作時にかけているが飽きがこない。 教会旋法と現代調性を分解し再び混ぜ合わせたようで肉体を離れたパラパラ感があり耳の通過に負荷がかからないからである。 映像「パラード」のアクロバット再演は抜粋だったが初めて観たような気がする。 展示と映像の「スポーツと気晴らし」ではあの独特な楽譜が楽しい。 これからもサティは身近に居る一人だろう。 *美術館website、 http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/15_satie/

■セバスチャン・サルガド-地球へのラブレタ-

■監督:W・ヴェンダース,J・R・サルガド ■Bunkamura・ルシネマ,2015.8.1- ■ http://salgado-movie.com/ ■何といっても「セラ・ペラダ金鉱」(1986年)で幕を開けなければ話にならない。 この作品を初めて見た時の衝撃は忘れない。 世界で一番の物質は<金>だということをまざまざと教えてくれる。 そして経済が「金鉱」を含め全ての作品に通底していたことを今回知った。 彼は経済学を齧り、その目でファインダを覗いていたのだ。 ヴェンダースのいつもと違うリズムがこの作品にはある。 サルガドが家族を中心に人生観世界観を絡め饒舌に語る為かもしれない。 妻レリアの存在も大きい。 「ジェネシス」(2013年)を終幕に持ってきたことで作品に安堵と輝きをもたらしている。 人間の欲望や憎しみ悲しみの目を多く撮って来たからだ。 地球へのオマージュである。 2014年作品。