■ターナー展、崇高の絵画・現代美術との対話
■画家:J・M・W・ターナー,リチャード・ロング,オラファー・エリンソン,コーネリア・パーカー,栗原忠二ほか
■国立西洋美術館,2026.10.24-2027.2.21
■展示は全九章で構成されており、各章の末尾には現代美術家の作品が配置されている。 サブタイトルにもあるように、ターナーが描いた<崇高>を現代の作家たちがどのように受け止め、応答しているかを示そうとする企画のようだ。
しかし私としては、まずターナーの作品そのものがもたらす崇高な体験に浸りたい。 近年の美術館は解説や関連展示が充実している反面、ときに鑑賞者を導こうとする意図が強すぎるようにも感じる。
例えば、オラファー・エリアソンの「溶ける氷河」シリーズや、夏目漱石「坊っちゃん」のような関連資料は、ターナー作品と一定の距離を保っているため、むしろ鑑賞の妨げにはならない。
一方で、ケイティ・パターソンやリチャード・ロング、オトリス・グループによるミクストメディアや映像作品は、私にはターナーとの結びつきが見えにくく、かえって戸惑いを覚えた。 栗原忠二の油彩画は比較的親しみやすかったが、マーク・ロコスの「あの男、ターナーは、わたしから多くを学んだ」という挑発的な言葉には穏やかではいられない。
そのためだろうか、今回はターナーの作品を見ながらも、いつものように山岳や海景に圧倒されるというより、歴史画や都市景観のほうが印象に残った。 なかでも「ティヴォリ、トビアスと天使」「風景、タンバリンを持つ女」、特に「バッカスとアリアドネ」に惹かれた。 また、ヴェネツィアを描いた作品群では、光と空気の中に溶け込んでいく宮殿や教会の姿から、かつて旅した際の記憶がよみがえった。
こうして振り返ると、今回はターナーの作品からいつもの<崇高>を強く感じ取るというより、「ターナーと現代美術との対話」という展覧会の枠組みそのものを意識しながら鑑賞することになったようだ。 少し複雑な思いを抱えつつ、上野を後にした。