■フォンタネージ、イタリアの光・心の風景
■作家:アントニオ・フォンタネージ,浅井忠,高橋由一,メダルド・ロッソ,ロレンツォ・デッレアーニ他
■三菱一号館美術館,2026.10.17-2027.1.24
■抽象画家ルーチョ・フォンタナと聞き間違える人が時々いると聞き、日本におけるフォンタネージの知名度や位置づけを改めて感じた。 私自身も同程度の認識だったが、今回の展示によってフォンタネージの全体像を知ることができたのは大きな収穫だった。
フォンタネージは、年齢を重ねるにつれて画風を変化させていった画家のように思われる。 それは初めから明確な目標に向かって進められた変化ではなく、その時々の出会いや環境に応じて描き方を取捨選択していった結果ではないだろうか。
彼の経歴をたどると、まずパリ万国博覧会を通じてバルビゾン派の影響を受け、さらにサロンでコローやクールベ、ロンドンでターナーやコンスタブルの作品に触れ、それらを自身の画風へと取り込んでいったことがわかる。 そうした変化を遂げながらも、作品の底流には一貫して農村風景へのまなざしが流れている。 それは彼が生まれ育った土地の風景への親近感に由来するのかもしれない。
同時に、彼の旺盛な行動力はどこから生まれてきたのだろうか。 若い頃にはイタリア独立戦争に二度従軍し、生活のために都市風景を版画として制作した。 また晩年近くには日本へ渡り、工部美術学校で教鞭を執っている。 日本滞在は短期間だったものの、学生たちから高い評価を受けていたという。 こうした経歴を振り返ると、フォンタネージは人生において新たな選択を重ねたのと同じように、作品も時代や環境に応じて柔軟に変化させていった画家だったように思える。
ところで、小展示室に展示されていた「四月」(1873年)では、草地に寝転ぶ二人の人物が周囲の風景に比べてやや大きく見えた。 また「雲」(1880年)でも、近景の人物と後景の街との距離感に違和感を覚えた。 もちろん意図的な表現である可能性もあるが、私は遠近表現がやや不自然に感じられた。
先日鑑賞した「シンシナティ美術館展」では、アメリカに渡った近代ヨーロッパ絵画を俯瞰的に見ることができた。 それに対し本展では、フォンタネージという一人の画家の視点を通して、彼が出会ったヨーロッパ絵画や日本近代洋画の形成過程を見つめることができた。 画家の生涯と作品の変遷をたどりながら近代美術の広がりを感じられる、刺激的で興味深い展示だった。
*フォンタネージ来日150周年記念展