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■カフェに集う芸術家―印象派からゴッホ、ロートレック、ピカソまで

■作家:ゴッホ,ルノワール,ドガ,ロートレック,ピカソ,ジュール・シェレ,ラモン・カザス他 ■三菱一号館美術館,2026.6.13-9.23 ■<カフェ>という場を私はうまく想像できない。 日本の<喫茶店>とも違い、かつて存在した「キャバレーハワイ」や<ダンスホール>とも異なる。 <バー>や<居酒屋>はどこに位置づけられるのか。 そもそも自分は「カフェ」という文化装置を十分に理解していなかったのだと、美術館ホームページの解説を読んで気づかされた。 本展はその「カフェ」を軸に、近代絵画の誕生からロートレック、そしてピカソへと至る流れを、ほぼ教科書的な構成で提示している。 1章 カフェを描く—レアリスムから印象派へ 2章 夜のカフェ—シェレ、ロートレックの世紀末 3章 〈シャ・ノワール〉の登場とその後の展開—パリとバルセロナの往還 さらに、ハイライトとして 1.シャ・ノワール 2.ムーラン・ド・ラ・ガレット 3.クアトラ・ガッツ が掲げられている。 章立てとハイライトを眺めていると、まるで「カフェに集う芸術家」という本の目次を読んでいるようだ。 展示の見どころも 1.19世紀フランス美術の見過ごされてきた主題 2.ピカソ「青の時代」への転換点 3.ラモン・カザス「マドレーヌ」 と三点に整理されており、内容に隙がない。 だがその「隙のなさ」が、逆に展示を夏休みの宿題のように感じさせた。 カフェという雑多で混沌とした場を扱いながら、展示はあまりに整然としている。 芸術家たちが集ったカフェの熱気や雑音よりも、体系化された美術史の枠組みが前面に出てしまっているように思えた。 *美術館、 https://mimt.jp/ex_sp/cafe/

■不在の存在、寺田真由美 ■Run and Rest、若林奮

*以下の2展示□を観る. *練馬区立美術館,2026.7.25-10.18 □不在の存在,寺田真由美 ■寺田真由美という作家を今回初めて知った。 チラシでは写真家として紹介されていたが、入口にはビニール製の労働者風衣装「Mr. Johns」(1985)が展示されており、思わぬ立体作品にまず驚かされる。 続く展示は、誰もいない室内から庭の植物を撮影したモノクロ写真群である。 静謐さの奥に不気味さが漂い、視線の行き場が定まらない。 後半になると淡い色彩が加えられ、人の気配がわずかに戻ってくるようにも感じられる。 最後に現れるのは、数十センチほどのベッド状の小さな彫刻群だ。 モノクロ調の石で成形され、写真作品の延長線上にあるようでありながら、展示空間の中で異質な存在感を放っている。 ここでも再び「場違いさ」が意図的に仕掛けられているように思えた。 会場でカタログを捲ると、寺田が写真・彫刻・思想を横断する多彩な作家であることが分かる。 「明るい部屋」や「ブレードランナー」といった語句が並び、参照する文化圏の広さにも親しみを覚える。 しかし、展示作品そのものはどこか近寄りがたい。 私の内側に潜む精神分裂的な気質に触れてしまい、気分が沈むのを抑えられなかった。 タイトル「不在の存在」が示すように、彼女の作品は私の心の奥の暗がりを照らし出す。 早々に隣室の「若林奮展」へ向かったのは、その重さから逃れたかったからかもしれない。 □Run and Rest,若林奮 ■次の若林奮の展示室に入ると、まず六メートル近い鉄製の巨大な彫刻が対をなして置かれている。 「Run and Rest」(1996年)と題されたこの作品は、堤防のような量塊をもち、周囲の空気を押し返すほどの圧力を発していた。 壁面には制作過程の資料が約七十点並び、若林が対象を観察し形態の必然性を探り続ける作家であることが伝わってくる。 資料によれば、この彫刻は愛犬のために構想されたという。 私自身も犬好きであるため、その事実に思わず親近感を覚えた。 しかし、広い野原を駆け回る犬の姿を思い浮かべると、この重厚な鉄の構造物は、走るにも休むにもどこか不釣り合いで、視界を遮ることでむしろ落ち着かないのではないかと感じてしまう。 帰宅後に調べてみると、若林奮の展示には過去にも二度ほど出会っていたことが分かった。 犬好き同士という偶然...