■ゴードン・マッタ=クラーク展  ■瀧口修造と彼が見つめた作家たち

■東京国立近代美術館,2018.6.19-9.17
□ゴードン・マッタ=クラーク展 
■ゴードン・マッタ=クラークという名は初めて聞く。 廃墟のビルを鋸で切ってみたり、ゴミ置場でトラックを壊したり、工場跡地の建物の壁を切り取るのを見ると彼はアーティストというよりパフォーマーに近い。 パフォーマンスは結果より過程だから映像作品が多いのだろう。 でも対象変化が予想でき音の無い映像は疲れる。
彼は1960年代饗宴の後始末をしているようだ。 もう一つ、チラシにもあったが戦後から続いた都市の後始末をしているようにもみえる。 でも彼が何を考えているのか、写真や作品の断片を見ただけではよく分からない。
映像では音声がしっかり入っている「フードの一日」が面白い。 マッタ=クラークの日常周辺や街の様子がわかる。 彼らが魚市場へ買い出しに行く場面があったが、スズキや蟹の見立てや店員とのやり取りが楽しい。 レストランに戻っての調理風景には目が釘付けになる。 こんな調理で人前に食事を出せるとは驚きだ。 でも開店後の客の様子をみると皆満足そうに食べている。 トウモロコシが1本ズトーンと皿に置いてあるのには笑ってしまった。 スズキや蟹がよく見えなかったのは残念。 客同士のクダラナイ話もまた楽しい。 人種・服装・髪型・・、1970年頃のニューヨーク下町へちょっと行ってきた感じだ。
マッタ=クラークは当時の街を歩けば出会えそうな人物にみえてきた。 資本資産の交換期のため大きな材料が散らばっていたから活動し易かったに違いない。 当時のマッタリした都市気分も上手く利用している。 不要なモノを扱う面白さとクダラナさの両方がでている。 マッタリ=クラークである。
*館サイト、http://www.momat.go.jp/am/exhibition/gmc/
□瀧口修造と彼が見つめた作家たち
■瀧口修造「デカルコマニー」の作品群と彼が支援した若手作家や関連作家の作品が展示されている。 瀧口修造と若手作家のダイナミックな関係は見えないが作家の多さに驚く。 書斎などの写真が面白かった。 本人や妻の表情・服装、家具、壁の絵や棚の本をみていると彼の全体が見えて来る。
*館サイト、http://www.momat.go.jp/am/exhibition/takiguchi2018/
*「このブログを検索」語句は、 瀧口修造