■エットレ・ソットサス、魔法がはじまるときデザインは生まれる ■瀧口修造、書くことと描くこと
*下記の□2展示を観る.
■アーティゾン美術館,2026.6.23-10.4
□エットレ・ソットサス,魔法がはじまるときデザインは生まれる
■作家:エットレ・ソットサス,マルコ・ザニーニ,ミケーレ・デ・ルッキ,倉俣史郎■ブログを遡ると、2011年にデザインサイトで開催された「倉俣史朗とエットレ・ソットサス展」を訪れていたことがわかった。 あれからすでに15年、石橋財団は次の好機を慎重に見極めていたのだろうか。 今回の展示は当時の記憶を一度リセットするほど新鮮に映った。 珍しい写真を含め、作品数も過不足なく配置され、密度と呼吸のバランスがよい内容だった。
ソットサスの経歴をあらためて辿ると、戦後の混乱期を経て工業デザインへ接近し、インド旅行や米国西海岸での滞在、さらにはカタルーニャ放浪の旅が、彼の造形感覚に多層的な影響を与えていることがわかる。
個人的な記憶だが、タイプライターを購入しようとしていた頃、ちょうどオリベッティ「ヴァレンタイン」が発売された。 デザインは魅力的だったものの、あの赤色だけはどうしても受け入れられず、結局「レッテラ32」を選んだことを思い出す。
しかしその後、ソットサスの色彩感覚、スカッと抜けるようでいて、どこか揺るぎない安定感をもつカラフルな配列には驚かされ続けてきた。
今回の展示で「メンフィス」グループのメンバーに磯崎新の名を見つけたことは、長年の謎を解く鍵となった。 磯崎の「ティーム・ディズニー・ビルディング」(1991年)の実験的な形態と色彩はどこから来たのかと感じていたが、あの中央にそびえる円筒形と周囲の立方体の構造と色彩は、まさしく「トーテム」や「家具」の系譜に連なるものだと確信ができた。
「メンフィス」や「磯崎新」に加え、「鉛の時代」「スーパースタジオ」「アレン・ギンズバーグ」といった言葉が次々と過去を呼び起こす。 久しぶりに、目と脳が一気に覚醒するような展示であった。
□瀧口修造、書くことと描くこと
■作家:パウル・クレー,マルセル・デュシャン,ジョアン・ミロ,岡鹿之助,堂本尚郎,荒川修作ほか
■正直に言えばかなり疲れる展示だった。 批評文や書籍の活字はどれも小さく、読む前から気力を削がれる。 瀧口が描いた水彩画やデカルコマニーも、顔を近づけてようやく細部が見えるほど小さな作品が多い。 さらに、当館では珍しく4階と5階を使い、「書くこと」と「描くこと」が万遍なく詰め込まれている。
直前に観たソットサス展の視覚的な開放感がまだ身体に残っていたこともあり、瀧口の批評文の難解さは輪をかけて重く感じられた。 展示空間の密度と作品のスケールの小ささが、左脳と右脳を別々の方向へ引き裂くようで、集中の軸が定まらない。
そのため、「書くことを通じて世界と対峙してきた瀧口にとって、描くこととはいかなる行為であったのか」という展示の根幹にある問いへ、今回はどうしても辿り着けなかった。 作品の微細さと文章の難度が、瀧口の思考の核心に触れる前に、こちらの認知の余力を奪ってしまったのだ。