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■2024年美術展ベスト10

*当ブログに書かれた美術展から最良の10展を選出. 並びは開催日順. 映画は除く. ■ 見る前に跳べ   東京都写真美術館 ■ プリピクテ、HUMAN/人間   東京都写真美術館 ■ 豊嶋康子、発生法ー天地左右の裏表   東京都現代美術館 ■ シナジー、創造と生成のあいだ   東京都現代美術館 ■ MUCA展、バンクシーからカウズまで   森アーツセンターギャラリー ■ 遠距離現在 Universal/Remote   国立新美術館 ■ 記憶、リメンブランス   東京都写真美術館 ■ 高田賢三、夢をかける   東京オペラシティアートギャラリー ■ となりの不可思議   東京オペラシティアートギャラリー ■ アレックス・ソス、部屋についての部屋   東京都写真美術館 *今年の舞台は,「 2024年舞台ベスト10 」. *今年の舞台映像は,「 2024年舞台映像ベスト10 」. *今年の能楽は,「 2024年能楽ベスト3 」.

■手塚雄二、雲は龍に従う

■そごう美術館,2024.10.19-11.17 ■作家:手塚雄二 ■天台宗「東の比叡山」寛永寺に奉納する天井絵 「叡嶽双龍」 完成記念展です。 作品は 6mx12mの大きさ、だが会場照明が暗いし観客台の立ち位置も低い。 このためか作品全体が一気に迫ってきません。 制約は多々あるとおもうが 今回はもっと照明を当てるべきでしょう。 同作家の日本画50作品も展示されています。 章立ては四季の庭に始まり、2章荘厳なる景色、3章光とともに、4章清けし・幽けし(きやけし・かそけし)、と続く。 どれも夢をみているような朧げな風景画が多い。 また描かれた海をじっとみていると山々に見えてくる。 画中に収束対象物が少ないので掴みどころがありません。 気が抜けたような作品群です。 遠方の草を立体化して存在感をだした「水風」(2001年)が気に入りました。 他に「風宴」(2004年)「花尋」(2003年)もです。 漫画ぽい「雷神雷雲」「風雲風神」と比較すると今回の「叡嶽双龍」は骨があります。 奉納された後の根本中堂天井を是非見たいですね。 *寛永寺創建四百周年根本中堂天井絵奉納記念展 *美術館、 SOGO MUSEUM OF ART|西武・そごう

■アレックス・ソス、部屋についての部屋 ■現在地のまなざし ■光と動きの100かいだてのいえ

■東京都写真美術館,2024.10.10-2025.1.19 *下記の□3展を観る. □アレックス・ソス,部屋についての部屋 ■「・・親しみを感じるのは室内の写真だ」。 ソスの言葉です。 親密さというより<静かな演劇>です。 乾いた劇的さが一瞬みえる。 加えて乾いたアメリカの空気を感じる。 部屋の家具や小物に親近感が無いためか乾いているように見えるのかもしれない。 初めての作家ですが気に入りました。 *美術館、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4820.html □現在地のまなざし,日本の新進作家,vol.21 ■作家:大田黒衣美,かんのさゆり,千賀健史,金川晋吾,原田裕規 ■静物、風景、社会、生活、人生などに5人の作品をざっくり分類できる。 でも分類不可能な作者の味がその奥に見えてきます。 人物か入るか否かで味も濃厚と薄味に分かれる。 前者では「明るくていい部屋」後者は「New Standard Landscape」が印象に残りました。 後者は薄味だが塩味が強い。 先日、保管してある写真の整理をしました。 近頃はクラウドに残すのでモノとしての写真は激減したが古い写真はすべて物理アルバムで保管してある。 一枚一枚をジッと見つめてしまい取捨選択に時間がかかった。 と言うことで「写真が山になるまで」は感慨深く見ました。 *美術館、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4822.html □光と動きの100かいだてのいえ,19世紀の映像装置とメディアアートをつなぐ ■作家:岩井俊雄,エミール・レイノー,エドワード・マイブリッジ,エティエンヌ=ジュール・マレー,橋本典久ほか ■子ども連れの家族で凄い混雑です。 作品よりも子供の遊ぶところを見てきたと言ってよい。 *美術館、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4818.html

■ルイーズ・ブルジョワ展

■森美術館,2024.9.25-25.1.19 ■六本木ヒルズの巨大な蜘蛛の彫刻を見るたびに作者はどんな人なのだろうか?と想像していました。 その思いとはかけ離れていましたね。 なんと!トラウマの塊りを持つ人だった。 展示会の帰りに再び蜘蛛を見上げながら、なるほど、そういうことだったのか・・。 場内はある種の緊張感が漂っている。 不気味な静寂です。 神妙に作品と対峙してしまった。 「魔法・謎・ドラマは決して失わない」。 ルイーズの言葉が作品に内包されている。 彼女の経歴映像からトラウマが何であったのかが朧気ながら見えてきました。 それは世界共通ともいえる家族に集約されていく。 母との蜜月、父の特異な性格、繁盛したタペストリ修復業の家庭、そして家庭教師と父の関係、姉妹のこと、従弟の突然の侵入、結婚してからは夫や子供の存在、これらの関係を全ての作品に塗り込めていく。 「私を見捨てないで!」。 「地獄から帰ってきたところ、言っとくけど、素晴らしかったわ」。 素晴らしかったかどうか?は分かりません。 でも母の子供として子供の母として充実した人生だったことに最期は納得したはずです。 「蜘蛛の巣」はルイーズの傑作だと再確認しました。 それは母親の象徴でもあったのですね。 *美術館、 https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/bourgeois/index.html

■松谷武判 ■抽象の小径 ■ナカバヤシアリサ

■東京オペラシティアートギャラリー,2024.10.3-12.17 *以下の□3展を観る. □松谷武判 ■「具体」と言えば吉原治良の黒地白丸の「円」が先ずは脳裏に浮かびます。 その具体美術は20世紀後半には立体から平面に移行している。 その後は平面に合うドロッとした液体こそが具体元になったのでは?  松谷武判の作成過程を撮った映像が流されていた。 はたして、行きつくところは単純・率直・素朴な液体そのものでしたね。 ドロッ、ズズッ、デロッ、ボタッ、・・具体の元に至った。 それは正解だった、と映像に写っていた松谷の顔がそう言っていました。 *美術館、 https://www.operacity.jp/ag/exh279/ □抽象の小径 ■作家:加納光於,堂本尚郎,山田正亮ほか ■ギャラリー4階まで松谷武判が占めたので寺田コレクションは少ない。 白髪一雄に目が留まりました。 白髪も具体でしょう。 *美術館、 https://www.operacity.jp/ag/exh/detail.php?id=305 □ナカバヤシアリサ ■速度のある描き方です。 そして風景が激しく揺れ動く。 風景の中から得体の知れない何かが出現する瞬間かもしれない。 それは風景の元かもしれない。 先の具体元に合わせて風景元とでも言いますか。  *美術館、 https://www.operacity.jp/ag/exh/detail.php?id=306

■カナレットとヴェネツィアの輝き

■SOMPO美術館,2024.10.12-12.28 ■カナレットが人名とは知らなかった。 当初はカナル・グランデ(大運河)に関することかな?と思っていました。 舞台美術家の父カナルと区別する為に「小さなカナル」つまりカナレットと呼ばれたらしい。 カナレットはヴェドゥータ(景観画)を描き続けた。 今なら名所絵ハガキに該当するのでしょう。 ヴェネツィアは行ったことがあります。 カナレットの絵を観ていると旅行のことが甦る。 今でも景観画の役割は立派に果たしていますね。 旅行者の思い出に残る風景を描いているからです。 でもカプリッチョ(綺想画)のように空想まで取り入れない。 実際の風景の構図を整える程度です。 そこに舟や人々を華麗に配置する。 版画も1章を割いて展示されていたが素晴らしい。 建物の線はビシッと決まり、人物は活き活き描いている。 カメラ・オブスキュラという機器も使っていたらしい。 彼はグランド・ツアー客に作品を売って大儲けしたようです。 その関係で後半はイギリスへ渡り景観画を描いた。 その作品も展示してあるがヴェネツィアのような親しみさは無い。 たぶん気候なども関係したはずです。 後半の章では同時代の画家たちの作品が展示されている。 でもカナレットには敵わない。 その一人ウィリアム・ジェイムズの絵は「硬質で味気ない」と言われたらしい。 まったくその通り。 比較するとカナレットの豊かさを再認識します。 終章にあった印象派画家が描いたヴェネツィアはまったくの別世界です。 比較できない。 今回の展示を観てヴェネツィアへまた行きたくなってしまった。 *美術館、 https://www.sompo-museum.org/exhibitions/2023/canaletto/

■魂のまなざし、ヘレン・シャルフベック

■監督:アンティ・ヨキネン,出演:ラウラ・ビルン,ヨハンネス・ホロパイネン,クリスタ・コソネン他 ■配信(フィンランド&エストニア,2020年作) ■ヘレン・シャルフベックを描いたドキュメンタリー風ドラマです。 でも彼女の絵画は未だ観ていない。 フィンランド20世紀前半の日常世界を楽しめる内容でした。 電気も水道もない生活だが、豊かな自然やパリと比較して小柄なヘルシンキが描かれる。 木枠のガラス窓から入る太陽光と夜の蝋燭の光、どちらも暖かさがあります。 女性達の日常着が質素だが素晴らしい。 雑誌ヴォーグを見る場面が何度かある。 当時は雑誌をみて自作するのが普通だったのでしょう。 また男性が三つ揃えの背広で登場することが多い。 この映画はフィンランドで大ヒットしたようです。 このため服装は恥ずかしくないようにしたのかもしれない。 それとも監督の衣装好みかも? 当時の人間関係のありようも分かる。 母と娘ヘレン、兄の力、そしてエイナル・ロイターとの出会い。 そうそう、ヴェスターの立ち位置がよく分からなかった。 単なる女友達ではないはず。 この作品はヘレンのエイナルへの恋愛感情の流れが中心になる。 そしてお互いの成長を肯定して幕が閉じる。 ヘレンの作品が何枚か映し出されたが真実を捉えています。 次回の展示会は見逃さないようにします。 *原題:HELENE *ヘレン・シャルフベック(1862-1946)生誕160年記念作品 *映画com、 https://eiga.com/movie/96307/

■生きた全体 A Living Whole

■作家:大西麻貴,百田有希 ■ギャラリー・間,2024.9.4-11.24 ■T.S.エリオットの詩の概念「生きた全体」を引用している。 そこから「建築をつくることは、物語を紡ぐことと似ている」と作家は言う。 会場に入ると、童話の世界からやってきたような建築模型が多くみられます。 物語を塗り込んでいく。 「<ある>というより<いる>」「重力から生まれる自然な姿」「質感をともなう形」・・、具体に近づいていきます。 また何を一つとするか?も問うている。 そこから「道としての建築」「外皮を纏う建築」など建築を世界へ、世界を建築に浸透させていく。 ヒトの細胞や組織と同じように呼吸する建築を目指している。 外庭には模型「熊本地震災害ミュージアム」と小枝屋根のあるベンチが置いてある。 4階へ上がると、一部が深紅色のカーテンで覆われた展示になっている。 そして覗くように作品を観る。 まさに童話の世界を覗いているようです。 写真でしか見ていないので実建築の内側を覗いてみたくなりました。 先日観た「平田晃久、人間の波打ちぎわ」展の「からまりしろ」や当展の「生きた全体」などの概念はどれも人間の精神面まで取り込もうとしている。 より荒々しくなりそうな自然に持ちこたえることができるのか? 技術が進んでいるので問題ないはずだが不安も感じられます。 *美術館、 https://jp.toto.com/gallerma/ex240904/index.htm

■ポール・マッカートニー写真展

■東京シティービュー,2024.7.19-9.24 ■ポール・マッカートニーが撮影した1、000枚の中から250枚を選んだ写真展です。 時期は1963年後半から1964年前半とある。 ビートルズのデビューが1962年後半、つまり英国内に名前が広がった頃ですね。 会場に入るとポールのカメラが展示してある。 ペンタックスSV(1962年製)でした。 「いいタイミングでいい場所にたまたま居合わせたその時だけの写真を撮りたい」。 ポールの言葉です。 ビートルズの親密空間が覗けます。 彼らの家族や公演の裏舞台なども多く入っている。 しかし多くのビートルズ写真を過去から見ている為か全ての写真に既視感がある。 そのなかでマイアミのバカンスは初めての写真が多かった。 パリではポールがカメラを向けても意識しない通行人がいる。 ビートルズが未だ知られていないことが分かります。 「オール・マイ・ラヴィング」がどこからか聴こえる・・。 アメリカ公演での空港インタビュー、エド・サリヴァン・ショー、この映像から流れていた。 アメリカ公演(1964年2月)は成功するか? ポールを含め関係者たちの不安が見て取れる。 「ハード・デイズ・ナイト」の中で当時のカメラを操作するのは大変なこと、でも、さすがにポール、まあまあに撮れていました。 1964年以降も続けたのでしょうか? アーカイブを隅々まで探せばまた出てくるかな? *「ナショナル・ポートレイト・ギャラリ」リニューアル・オープン記念展 *美術館、 https://tcv.roppongihills.com/jp/exhibitions/paul-photo/index.html

■田名網敬一、記憶の冒険

■国立新美術館,2024.8.7-11.11 ■これでもか!!と続いていく作品に圧倒されました。 でも、あっけからんとした雰囲気もみえる。 エントロピーだけが大きくなっていく。 増大する現代の情報社会に通じるものがあります。 ・・天井を見上げるとB29爆撃機の大きな模型がぶら下がっている。 襲いかかる艦載機も至る所で目に入る。 目黒の焼け野原から始まり、遊んだ雅叙園、学んだ美術学校、そしてPLAYBOY・11PMなどの仕事世界へ,中国旅行、結核を患い、記憶の旅へ、アンダーグラウンドに出会い、記憶の迷宮、記憶の修築へ、ピカソの悦楽を知り、コラボレーションで幕が閉じる・・。 作家のインタビュー映像を見て謎が解けました。 「・・作成過程で作品はどんどん変化していく」と言っている。 次々と素早く描き足し、次第に画面は詰まっていき身動きが取れなくなる。 映画のコマを画空間にばら撒いたようなものです。 結果、各作品が同じような構造になってしまう。 大病を患った後から<記憶>が前面に出てきますね。 「記憶とは死を意識すること」と本人が言っていた。 この夏に亡くなったことを会場で知りました。 作家の圧倒的記憶で出来たこの展示会を天国から見守っていることでしょう。 *美術館、 https://www.nact.jp/exhibition_special/2024/keiichitanaami/index.html