■不易流行 ■鷹野隆大、カスババ ■戦争、ロバート・キャパ

*以下の□3展を観る.
■東京都写真美術館,2025.2.27-6.22
□不易流行
■作家:石内都,塩崎由美子,大塚千野,片山真理,長野重一,植田正治,山上新平ほか
■松尾芭蕉の言葉の謂れが先ずは目に入る。 作品一覧を一瞥すると予想もつかない章立になっている。 初章の「写された女性たち、初期写真を中心に」から「寄り添う」「移動の時代」「写真からきこえる音」「うつろい、昭和から平成へ」と続く。 そしてインターセクションの章が途中に3回登場する。
1章は「不易」の位置づけか? 次の2章「寄り添う」は作品数の多い塩崎由美子、大塚千野が記憶に残る。 そして3章「移動の時代」は移民や復員が目に付く。 A・スティーグリッツの「三等船室」は風景が強いが、L・ハインの「エリス島」、河野徹「逃れるユダヤ人」、林忠彦「引き上げ(上野駅)」は当時の人々の不安と期待が直接響いてくる。 1960年前後の長野重一「香港」は特殊な歴史背景が重くのしかかる。 4章「写真からきこえる音」。 室内に吊るしてあるカレンダーにはいつも凝視してしまう。 何年何月? 当時、私は何をしていたのか? 写真の中で過去を彷徨い歩く。 5章「うつろい」の田村彰英「湾岸」は東京の昭和残照だ。
インターセクションでは初めの「オノデラユキ」に出鼻をくじかれた。 混乱する。 初めて観る山本綾香の青色の5作品が気に入る。 「赤瀬川原平」は突飛な感じだ。
「不易流行」は扱いやすい言葉である。 いくらでも操作できるが、各章名に収束していく流れも感じられた。 しかし今回のように多くの作家を登場させる展示はスタッフも苦労しているのが分かる。
□高野隆大,カスババ-この日常を生きのびるために-
■作家:大野隆大
■「不易流行」と同じで方向性の無い展示だ。 「何も撮るものがない」「最高に退屈」と作者も言っている。 「カスババ」とは滓(カス)のような場所を指すらしい。 日常は滓で溢れている。 でないと気が狂ってしまう。 人生は日常でできているから。 
□戦争,ロバート・キャパ
■作家:ロバート・キャパ
■会場は11章に分かれている。 各章には10枚前後しかない。 キャパの総集編のような展示である。 「僕は写真家じゃない。 ジャーナリストさ!」。 文字と写真は補完もするし独り立ちもできる。 報道写真家の言葉らしい。
スペイン内戦、日中戦争、第二次世界大戦、中東戦争、インドシナ戦争を扱っている。 この5つの戦争は20世紀のたった15年の間に起きた。 キャパは当に戦争を撮るために生まれたと言ってよい。 ところでカナダ軍をみたのは初めてである、アフリカ戦線の対ドイツ軍との戦いだが。
3展の中ではこの展示が一番混んでいた。 観客数は上記3展順に2:1:7の比率かな? 「何でも観てやろう」という欲張りの客は少ないらしい。