■山本理顯展、コミュニティーと建築 ■朝井閑右衛門が描いた街と人間

*下記□の2展を観る.
■横須賀美術館,2025.7.19-11.3
□山本理顯展,コミュニティーと建築
■建築家・山本理顯(やまもとりけん)が設計した100作品が並ぶ大規模な展示会である。 普通に見て回るだけでも2時間以上かかってしまった。
「閾は出入りするものたちの限界を指し示す」。 作家の言葉が掲げられていた。 <閾>(しきい)とはパブリックとプライベートの境界を指し、社会との繫がりを生み出す」。 彼が提唱する境界概念らしい。 言葉の由来は敷居や鴨居にあると考えられる。
初期の作品には、独立させた室を<閾>という概念で内空間で繋げた一般住宅が多くみられる。 外壁の無い内空間は、偏西風が吹く東アジアでは酷かもしれないが、1970年代後期の邸宅群は境界が明確で、気に入った作品が多かった。
しかし1980年代に入ると独特な屋根をつけた小規模建築が増え、境界も曖昧になってくる。 デザイン的にはやや物足りなさを感じた。 屋根は象徴的な意味を持たせているのだろう。
1990年代は公共施設が目立ち始める。 「埼玉県立大学」や「はこだて未来大学」は内空間を活用し、個室を有機的につなげた構造がみられる。 ガラスの透過性を利用して空間の接続を多様化しており、密空間(プライベート)⇔内空間(コモン)⇔外空間(パブリック)の連携がよりスムーズに感じられた。
2000年代には「チューリヒ国際空港」など社会周辺との関係を意識した大規模施設が増えてくる。 しかし社会との連携といった目に見えない部分は、実際に現地に行ってみないと意見は難しい。
多くの作品に共通して言えることは、周辺コミュニティとの繫がりを重視している点である。 芸術性はやや控えめだが、他者との関係性が維持し易い建築と言える。 「住まいを変えれば、日本が変わる」という理念を体現する建築家の一人だろう。 山本理顯の全体像を知ることができて満足な展示だった。 ところで、美術館前の浦賀水道を大型船が列をなして通過していく風景が何とも素晴らしい!
□朝井閑右衛門が描いた街と人間
■朝井閑右衛門(あさいかんえもん)の油彩厚塗り絵画が数点並ぶ。 彼は戦後間もなく横須賀にアトリエを構え、横須賀美術館の誕生に寄与した地域ゆかりの洋画家である。