■ユージーン・スタジオ、新しい海 ■クリスチャン・マークレー、トランスレーティング(翻訳する) ■久保田成子展 

*以下の□3展を観る。
■東京都現代美術館,2021.11.13-2022.2.23
□ユージ-ン・スタジオ,新しい海
■会場に入って真っ白なカンバスに先ずは目が吸い付く。 でもこの作品「ホワイトペインティング」は説明を読まなければキス跡を想像できない。 「レインボーペインティング」も同じ。 「目にみえる/みえないものがある・・、異なる認識を受け入れて現実を再認識する・・」。 変化球を投げる画家にみえる。 これが「共にあること」に繋がっていくの。 共生という見方を広げないといけない。 でも言葉が飛躍し過ぎる。 「レインボーペインティング」は何も考えずにじっとみるのがいいわね。
作品「海底」は規模の大きさに驚いてしまった。 鏡を使うから余計に広く感じる。 水槽の枠を目立たないようにすれば水に囲まれているようにみえたはずよ。
次に何がでるか? ドキドキ感があるわね。 そして「善悪の荒野」も。 部屋の焼け跡が素晴らしい。 「2001年宇宙の旅」を題材にしたらしい。 タイトルも意味深い。 多くの作品に複雑な背景が感じられるが素直に観るのが一番かも。
□クリスチャン・マークレー,トランスレーティング(翻訳)
■これは面白い。 音楽をダイレクトに文字に変換した作品を前にすると、その変換された文字から音(音楽)が再生するように感じられるから。 これを翻訳と言うらしい。 たぶん再変換が大事なの。 聴覚→視覚→聴覚の流れね。 漫画はこの流れに近い。
そして音と音楽との関係も論じている。 社会から発生する雑音を音楽に変換する作品も多い。 でも、どちらも古臭く感じるのはマルチメディア時代前の作品だから? その為か音楽の表象化・物質化・商品化が直截に展示されていて気持ちがよかった。 「・・言語を信用できない」と彼は言っている。 これも直截に貢献していたかな。
□VivaVideo!久保田成子展
■ベールを剥がした久保田成子。 彼女の気配は感じていたけれど表立っては登場してこなかった。 「フルクサス」時代から小野洋子やナムジュン・パイクの影に隠れていたからよ。 この展示会で初めて彼女の全体像がみえた。 ジョナス・メカスやマース・カニングハムの名前もあり時代の雰囲気が伝わってくる。
ビデオ作品では「デュシャンピアナ、階段を降りる裸体」が気にいる。 裸体の映像処理も良し階段との相性も良い。 でもデュシャン・アプロプリエーションで悩んでいたのは伝わってくる。 それが原点である彫刻への回帰だったのね。 でも映像と彫刻の融合は成功したとは思えない。 「久保田の作品はすべて彼女の日記である」。 ポール・ギャリの言う通りかも。 デンスケを担ぐ彼女の姿はビデオ日記作家そのものだわ。
*「ブログ検索」に入れる語句は、 パイク