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■アルチンボルド展  ■ル・コルビュジエの芸術空間

■国立西洋美術館 ■アルチンボルド展,2017.6.20-9.24 ■監修:シルヴィア・フェリーノ=パグデン ■アルチンボルドは奇想な絵を描く単なる画家だと思っていたが実は驚きの人であった。 ハプスブルク家三代の皇帝に仕えクンストカンマー(驚異の部屋)を利用して広範囲に活動していたのだ。 彼は世界から収集した珍品を寄せ絵にして政治や科学を意味付けしアーカイブのように提示する。 これが面白さ以上に社会的な深みのある絵として表現されているから観る者を飽きさせない。 「四季」と「四大元素」をじっくり観たのは初めてである。 特に「春」の服の緑、襟の白、顔の桃と頭の花々の調和が素晴らしい。 それと魚やアザラシ、蛸や亀、海老や貝そして珊瑚で覆われた「水」が気に入る。 作品に描かれた珍しい動植物が多くの博物学者の原本になったことも初めて聞く。 ハブスブルク帝国の世界への広がりを感じさせる。 これが静物画の歴史に繋がっていくことにも納得。 宮廷行事のディレクターで活躍する彼はレオナルドやミケランジェロの後継者にもみえる。 画家とその時代の関係が想像できる嬉しい展示内容であった。 *館サイト、 http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2017arcimboldo.html ■ル・コルビュジエの芸術空間-国立西洋美術館の図面からたどる思考の軌跡-,2017.6.9-9.24 ■ついでに寄る。 この美術館の建築時の設計プロセスが展示されていた。 初めて知ることばかりである。 「美術館」と広場としての「展示館」「演劇館」の3館を当初は考えていたらしい。 しかも増築できる美術館にするため螺旋型→卍型→ファサード消去→自然採光と設計変更していく。 実はこの美術館は館内を歩いていてもよく分からない構造だといつも思っていた。 今日これを知ってナルホドと分かったような気になってしまった。 *館サイト、 http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2017funwithcollection.html

■いま、ここにいる  ■ダヤニータ・シン  ■世界報道写真展2017

■東京都写真美術館 ■いま、ここにいる,2017.5.13-7.9 ■「平成をスクロールする」とありますが元号を使うのに違和感があります。 他年代との距離間が定まらないし世界から切り離されてしまうからです。 東日本大震災も2011年であり平成23年では世界や歴史と繋がらない。 「いま、ここにいる」は写真にピッタリの題名すね。 身近な風景では作者は多分こんな心情で撮ったのだろうと想像しながらみるのも楽しい。 対象の重さは夫々ですが時間をかけずに観ました。 *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-2772.html ■ダヤニータ・シン,インドの大きな家に美術館-,2017.5.20-7.17 ■インドの裏側を表用にして撮っているのでとても見易い。 絞りを深めにしたモノクロのなかで登場人物は動作や感情が統一され一つの世界感が現れている。 作者はプロだと一目で分かります。 展示方法もなかなかです。 作品間を1cm位の木のフレームで囲っている。 この距離は絶妙です。 作品と作品の関係を観客が無理なく繋ぎ合わせることのできる距離です。 付かず離れずとでも言うのでしょうか。 作者はこれをミュージアムと呼んでいるようですが面白い発想です。 *館サイト、 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-2778.html ■世界報道写真展2017-変えられた運命-,2017.6.10-8.6 ■大賞「ロシア大使暗殺」は映画の一場面のようで現実感が無い。 現場が美術館で且つ写真展の開催中だからでしょうか? それに比較して「パキスタン自爆テロ」で倒れている弁護士達は映画をも越えています。 全員が黒スーツとワイシャツ姿でドグドグと血が溢れ出ている姿には凍りつきます。 アフリカ難民がギリシャへ渡る途中に息絶えて赤い救命具を付けながら地中海を一人漂っていく姿をみて何故か「パピヨン」を思い出してしまった。 そしてメキシコへ移住した大韓帝国の子孫が着物姿で傘をさし港を眺めている後ろ姿をみて複雑な時代を思い起こしました。 移住した1905年は日露戦争終結、日韓条約締結の年です。 スポーツではゲイに寛容なラクビーチーム、生まれながらにして手足を持たない重量挙げ選...

■レオナルド・ダ・ヴィンチXミケランジェロ展

■三菱一号館美術館,2017.6.17-9.24 ■「なんだ素描だけか・・」。 会場内で聞こえてきたが展名だけでは内容は分からない。 しかも大袈裟な展示名だ。 芸術でメシを食っていない人からみれば素描は未完成品と考えてしまう。 先の客の声もわからないことではない。 作品が小さいので最初は整列しながら観ていく。 しかし十枚もみれば多くの人は飽きてくるからモソモソ割り込んでも皆気にしなくなる。 後半はファクシミリ版も混ざっているようだ。 素描は一人でじっくり版でも開くのが適している。 壁に貼ってある二人の言葉は面白い。 「優れた素描作品を模写しなさい・・」「素描しなさい、素描しなさい・・」。 些細な差だが二人の違いが現れている。 「平らなものを立体にみせる絵画は彫刻を凌駕する」「大袈裟な議論は止めにしたい」。 二人の位置付けがわかる。 文字の比較も面白い。 ミケランジェロの文字をみて笑ってしまった。 いっけん真面目そうな女子高校生が書いたような文字である。 どうみても彫刻的だろう。 レオナルドの鏡文字はまさに思想をまとめようとする息遣いが伝わってくる。 文字を手段として使用しているのが見える。 「絵画と彫刻は素描から生まれた」。 この言葉は二人の共通認識かもしれない。 *館サイト、 http://mimt.jp/lemi/

■ジャコメッティ展

■国立新美術館,2017.6.14-9.4 ■会場に入ると「大きな像、女レオーニ」(1947年)が立ってる。 作品を見上げるので上手く対話ができない。 白い台に作品を乗せたのが余計です。 人物像は作者が作成していた時と同じ目線になるよう展示するのが良いでしょう。 たとえば佐藤忠良や船越桂の人物像の前ではなぜ作品と対話ができるのか? 多くが作成時の高さで展示しているからです。 美術館はこの楽しみを敢えて無視しているし、ジャコメッティは別の意味でこれを追求しない。 「私とモデルの間にある距離は絶えず増大する・・」。 「近づけば近づくほどものは遠ざかる・・」。 統合失調症感覚で満たされています。 しかも彼はフランス思想界に雁字搦めにされていた。 超現実主義や実存主義にです。 途中シュルレアリスムから離れたが実存主義者に評価されながら亡くなる。 「眼差しをどのように捉えるか?」を追求した為もある。 彼は鼻から目にかけて何度も描き直しています。 しかし下絵から彫刻に移すと目を見開いているだけになってしまう。 それは他者から逃れる目ではなく死から逃れる目です。 フランシス・ベーコンと同じ問題を抱えてしまった。 モデルを釘付けにする理由もセザンヌとは違いますね。 気に入った作品は「マーグ画廊のためのポスター」(1954年)。 爽やかで力強い筆さばきです。 それと「犬」(1951年)。 犬は死の眼差しを持たないが信頼の視線を向けてくれる。 目は描かれていないし痩せ細った野良犬ですがそれを感じさせてくれます。 (犬好きはいつもこれです) *展示会サイト、 http://www.tbs.co.jp/giacometti2017/ *2017.7.20追記。 犬の信頼の視線には極端な社交性を持つ「ウィリアムズ症候群」に関連のする二つの遺伝子を彼らが持っている為らしい。 犬の優しい眼差しをもつ科学的理由が分かってくるのは楽しいですね。 AFP通信記事サイト、 http://www.afpbb.com/articles/-/3136396