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11月, 2016の投稿を表示しています

■クリスチャン・ボルタンスキー、アニミタスさざめく亡霊たち

■東京都庭園美術館,2016.9.22-12.25 ■最初は作品がみえなかった。 歩いていると指向性スピーカから声が時々聞こえてくる。 亡霊たちの声か? 禅問答の断片のようにも聞こえる。 「さざめく亡霊たち」(2016年)。 2階に上り数室を覗くと影絵をやっていた。 「影の劇場」(1984年)。 書庫では赤電球が心臓の鼓動に合わせ点滅している。 「心臓音」(2005年)。 建物空間の装飾に埋もれてしまうような作品ばかりだ。 新館に向かう。 眼が描かれているカーテンを掻き分けながら進むと金色に塗られた古着の山に辿り着く。 「眼差し」(2013年)、「帰郷」(2016年)。 最後の部屋はビデオ作品が二つ。 幾つもの風鈴が砂漠の地面に刺さっている。 「アニミタス」(2015年)。 同じように森の木に風鈴がぶら下がっている。 「ささやきの森」(2016年)。 ボルタンスキは名前も作品も初めててある。 しかし観終わってもパッとしない。 最後に「ボルタンスキーインタビュー上映」(20分)をみる。 作者に少し近づけた。 大戦を祖父母や両親の身体を通して体験し大戦後の世界を自身で経験した世代である。 これを大事にしているからカラダを伝わる作品が多いのかもしれない。 声や影、心臓音、目、衣服、風鈴、「戦後の記憶」が微かに感じる。     *館サイト、 http://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/160922-1225_boltanski.html

■クラーナハ、500年後の誘惑

■国立西洋美術館,2016.10.1-2017.1.15 ■クラーナハの版画をみるのは初めてです。 デューラーと並んでも見劣りしません。 実業家だったことも知らなかった。 作品の「作成の速さ」と「量の多さ」からも時代の流れを捕らえていたことがわかります。 肖像画は線が細いので今で言えば写真の代わりでしょう。 宗教改革で宗教画の需要が減少したのでエロチズムな神話に活路を見出したのは面白い。 独特な官能美はいつ見ても飽きないですね。 当時のオナニー用だと聞いたことがあります。 宗教画に対するアンビバレンスの極致でしょう。 でも似た者同士かもしれない。 目も体も喜ぶ展示会でした。 *展示会サイト、 http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2016cranach.html

■ピエール・アレシンスキ展、おとろえぬ情熱・走る筆  ■きんしゃい有田、珠玉の器紀行  ■佐藤忠X古門圭一郎、こよなくあいまいな風景

■ピエール・アレシンスキ展,衰えぬ情熱・走る筆 ■Bunkamura・ザミュージアム,2016.10.19-12.8 ■会場出口に近づくほど観る楽しさが累積していく。 副題通りの内容である。 「墨美」に出会えたのも印刷・本・挿絵を専攻していたからだろう。 毛筆なら画も筆もカンバスを床に置くのは当たり前だがアレンスキも床を発見したのが分かる。 しかしジャクソン・ポロックが床にカンバスを置いたのは1943年頃だから彼は10年遅れる。 「書く」から「描く」の移行は彼の母語が象形文字でなかったからだろう。 この橋渡しをしたのが「オレンジの皮」(1962年)のような表現だと思う。 以後皮は彼の作品を覆っている。 途中に17分の映像作品「日本の書」(1955年)を上映していた。 刺激的な内容のため2回も観てしまった。 森田竹草、中野越南、篠田桃紅、大沢雅休?、江口草玄そして森口子龍が登場する。 アクリル絵具を得た後半の作品群は素晴らしい。 「肝心な森」(1984年)前後は絶頂期だろう。 2000年代になってもテーマをずらしながらこれを維持している。 最後の紹介映像を見て彼は左手で描いていることを知った。 鏡像文字を含め幾つかの疑問が解決した。 副題通りの展示会だった。 *館サイト、 http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/16_alechinsky/ ■きんしゃい有田,珠玉の器紀行 ■Bunkamura・ギャラリ,2016.11.2-8 ■陶芸家16人の器をみて所有欲がメラメラと湧いてきてしまった。 目が喜び欲しがっているのがわかる。 日常生活でこのような器に囲まれていたら幸せだろう。 *館サイト、 http://www.bunkamura.co.jp/gallery/exhibition/161102kinsyai.html ■佐藤忠X古門圭一郎,こよなくあいまいな風景 ■Bunkamura・ボックスギャラリ,2016.10.29-11.6 ■二人の作品は陽極と陰極のようなものだ。 素材も見栄えもまるで違うが一緒にしても文句が出ない。 しかし事務的な都合で二人展にしたのかもしれない。 あいまいな風景とはこのことを言うのだろう。 *館サイト、 http://www.bunkamura.co.jp...

■志村ふくみ、母衣への回帰  ■ぜんぶ1986年、世田谷美術館の開館とともに

■志村ふくみ,母衣への回帰 ■世田谷美術館,2016.9.10-11.6 ■なんとか最終日に間に合った。 この美術館は幹線から外れているので即思い立っても足が躊躇するの。 作品100点余りを見た後にどれが印象に残ったかというとやはり最新作かな。 会場入り口広間の12点は素敵ね。 「紅の花」「和歌紫」「刈安」あと「銀鼠」も。 無地だから色がよくみえる。 着心地までがわかるような想像力を与えてくれる。 自然染料の素晴らしさね。 次室では「若菜」「野分」「和歌紫」「勾欄」「道標」、三室では「花群星」が目にとまる。 継ぎ接ぎの「切継」も面白い。 「緑は生あるものの死せる像である」。 ルドルフ・シュタイナーの言葉に出会えてびっくり、でも作品をみれば二人は繋がっているのはわかる気がする。 アルスシムラもきっとシュタイナー教育から来ているのね(*1)。 *1、 「ルドルフ・シュタイナ展,天使の国」(2014年) *館サイト、 http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/past.html ■ぜんぶ1986年,世田谷美術館の開館とともに ■世田谷美術館はちょうど30年前に開館したのね。 その1986年頃を振り返ってしまう内容だった。 横尾忠則の作品3点はどれもトゲトゲしさがある。 当時の横尾は尖がっていたのね。 また「路上観察学会」の写真は見た記憶があるけど何度みても面白さが湧き出てくる。 平嶋彰彦の写真は30年の歴史を感じる。 当美術館は内井昭蔵設計だけど建築資料を見ていたら2009年の建築展を思い出してしまった。 これは内井の建築思想が分かる楽しい企画展だった(*2)。 やはりバブル景気が影響していたのは確かね。 景気が良いと芸術家はヒネクレてしまう。 そうすると見応えのある作品が生まれるとういうことよ。 *2、「内井昭蔵の思想と建築,自然の秩序を建築に」(2009年12月)  *館サイト、http:// www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/collection.html