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3月, 2025の投稿を表示しています

■ヒルマ・アフ・クリント展 ■ヒルマ Hilma

*美術展と映画(配信)の□2題を観る. □ヒルマ・アフ・クリント展 ■東京国立近代美術館,2025.3.4-6.15 ■入場して目に入った「夏の風景」(1888年)には若きヒルマの才能がみえる。 以降の精神世界を描いた抽象作品には素直・純心・誠実が窺われる。 加えて彼女の抽象画は受け入れやすい。 柔らかい春の色彩と線に懐かしさがあるからです。 そして精神の安定が画家に感じられる。 この時代に抽象画を描けたのは家族の物理的な援助と周囲の良き人間関係の支援もあったはずです。 でも背景にある神智学がよく分からない。 仏教やヒンドゥー教にも近いらしい。 彼女の作品紹介が世に遅れた理由でしょう。 「花と木を見ることについて」(1922年)になると暈しも入る。 神智学から人智学へ移った? でも暈しを入れるのはむしろ逆でしょう。 そして何故神殿に拘るのか?、墓に拘ったミケランジェロのように。 やはり神秘思想はそのまま受け入れるしかない。 ヒルマの絵はそのまま直感で観るしかありません。 *美術館、 https://www.momat.go.jp/exhibitions/561 □ヒルマ Hilma ■監督:ラッセ・ハルストレム,出演:レオ・オリン,トラ・ハルストレム,キャサリン・チョーク他 ■配信,2025.3.30(スゥエーデン,2022年作) ■老いたヒルマが時代を回想する伝記映画です。 若き彼女と影響があった人々を描いている。 それは子供時代の船乗りの父、付き合った同性愛的な女性達たち、そしてルドルフ・シュタイナとの関係です。 しかしシュタイナとの意見の相違はよく分からなかった。 他画家の展示会風景も簡単に紹介されていましたね。 それはムンクとカンディンスキーです。 彼女が絵具に卵を混ぜている場面がよく出る。 色彩が柔らかい理由の一つはこれですか? 一生涯求めた神殿に似たグッケンハイム美術館での2018年回顧展を映し出して幕が下りるのが印象的です。 ところで、2023年に写真美術館で上映した「みえるもの、その先に ヒルマ・アフ・クリントの世界」(ハリナ・ディルシュカ監督)は見逃している。 未だ観ていません。 *filmarks、 https://filmarks.com/movies/109129

■ゾフィー・トイバー=アルプとジャン・アルプ ■硲伊之助

*下記の□2展示を観る. ■アーティゾン美術館,2025.3.1-6.1 □ゾフィー・トイバー=アルプとジャン・アルプ ■ゾフィは記憶にない、ジャンの彫刻などは何度か観ていたが。 アルプ夫妻としては初めてです。 それはゾフィの直線とアルプの曲線と言ってよい。 ゾフィの直線は知的です。 初期の「構成シリーズ」(1910年代後半)や「鹿王の人形」(1918年)でもそれが分かる。 比べてアルプの曲線には自然的直感が含まれているかな? アルプはゾフィに感化されたようにみえる。 「名前のない詩」(1941年)など、二人のコラボは成功していますね。 ゾフィの死後、ジャンは「具体芸術」を述べている。 自然は抽象化しない、つまり具体だと。 ゾフィを再解釈しながら彼は素直に自身を肯定している。 展示は1886年-1918,1919-29,1930-43,1943-1966の4章構成だが、背景には多彩で濃密な芸術動向が蠢いている。 二人は激動の時代を生きたが控えめにみえます。 ところで、章解説は長い文章だが分かり易かった。 *美術館、 https://www.artizon.museum/exhibition/detail/585 □硲伊之助 はざまいのすけ ■おもっていた以上の規模でした。 作品数は100点前後、硲だけでも60数点が展示されている。 彼の全体像を知ることができました。 教鞭を執り、編集や翻訳をおこない、そして美術展の交渉に飛び回る。 活動的な人物です。 何人かの恋人の絵をみてもそれが分かる。 特にマチス展、ピカソ展などを戦後間もなく日本で開催した力量は大したものです。 自身の油絵は20世紀前後ヨーロッパからもろに影響を受けているが並みです。 晩年の陶芸はヴァルール(色価)とハーモニー(色彩調和)を日本美術に適用するために勤しんだのでしょうか? 今日はアルプ夫妻と硲の3人物をじっくりと堪能しました。 *美術館、 https://www.artizon.museum/exhibition/detail/586

■ミロ展

■作家:ジュアン・ミロ ■東京都美術館,2025.3.1-7.6 ■「若きミロ、芸術への決意」の章は観応えがありました。 この章の12作品だけでも上野へ来た甲斐がある。 すべてが初めての油彩です。 抽象画以前の作品をみると作家の深層が分かる。 同時期の横浜美術館所蔵「花と蝶」も好きな一点です。 ミロはなぜ抽象画へ移行したのか? 同世代の詩人や文学者に強く影響されたようです。 パリへ行き、内戦と戦争に出会い、その後も試行錯誤を続けていく。 たいへんな行動家ですね。 ミロの抽象画は楽しいが、しかし身体へ届かない。 カンディンスキーを観た時に起こる脳味噌への衝撃力が弱い。 ビリビリと脳が震え肉体が喜ぶ感覚がやって来ないのです。 絵画と詩を如何に繋げるか? 言語世界に、それが指示する現実世界に、ミロは捕まってしまったのではないでしょうか? *美術館、 https://www.tobikan.jp/exhibition/2024_miro.html

■マシン・ラブ ■視点、春木麻衣子,片山真理,米田知子 ■東京アンダーグラウンド1960ー1970年代

*以下の□3展示を観る. ■森美術館,2025.2.13-6.8 □マシン・ラブ ■作家:ビープル,ケイト・クロフォード,ディムート,藤倉麻子,許家維,キム・アヨン,陸揚ほか ■副題「ビデオゲーム、AIと現代アート」から映像系作品が多い展示のようです。 事前に時間配分を考える必要がある。 入場すると先ずは用語の解説が掲げられている。 これは厄介ですね。 アニメ系からより複雑な映像作品までが並んでいます。 アセットを素に動物や人間のキャラクターが建物や郊外で激しく踊り動き回る「アウトレット」(佐藤瞭太郎)、作家がデジタル・アバターで登場する「独生独死」(ルー・ヤン)、マルチメディア・インスタレーションで迫る「慈悲の瞑想」(ジャコルビー・サッターホワイト)などなど。 またスぺキュラティブ・フィクションで語る「デリバリー・ダンサーズ・スフィア」(キム・アヨン)は実写の主人公が配達員としてゲームのように飛び回る。 異様な風景を描く「エフェメラル・レイク(一時湖)」(ヤコブ・クスク・ステンセン)も。 しかし直ぐに飽きてしまう。 裏で動く情報処理に精通していないこともある。 それより作品の奥にある思想が抽象的断片的なことのほうが大きいからでしょう。 しかも表面で流れる色彩や動きに目がいってしまうからです。 その中で、ビープルの「ヒューマン・ワン」は存在感がありました。 ビデオ彫刻だが、これはなかなかのものです。 またケイト・クロフォード他の「帝国の計算、テクノロジーと権力の系譜」は紙にして売って欲しい。 家でジックリ眺めたくなる。 全体の感想ですがアートとは未だ呼べない。 過度期のためでしょう。 NFT(非代替性トークン)アート作品の失墜も聞いています。 もう少し時間がかかりそうです。 *美術館、 https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/machine_love/index.html □視点-春木麻衣子,片山真理,米田知子 ■片山真理と米田知子は何度か観ています。 二人は面白い視点で描くので忘れられない。 春木麻衣子は初めてか? 調べたら写真美術館で出会っていたが覚えが無い。 *美術館、 https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/mamcollection019/index.ht...